Truffes de Chambéry ;トリュフ・ドゥ・シャンベリー その3

シャンベリーで出会ったトリュフたち。 同じように見えてもそれぞれに個性的でした♪
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↑ Confiserie Mazet(1820年創業)のトリュフ
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↑ Pâtisserie Au Fidèle Berger(1832年創業)のトリュフ

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↑ Pâtisserie Martial のトリュフ


◎さてトリュフのルセット、一番古いものはいつ世に出たのでしょう?そしてどんなルセットだったので
しょうか?

私が持っている本で、トリュフのルセットが掲載されている一番古い本はこれでした。
L’Idéal du pâtissier moderne et pâtissier traiteur 」 1905
トリュフだけで6種類ものっていました。4番が一番トリュフ・ドゥ・シャンベリーに近いのではないで
しょうか。
P-257  Truffes (以下、大まかな作り方)
1, サクランボをそのまま使ったリキュールボンボン
2, パート・ダマンドを生クリームでのばし、ボール状に丸めたをチョコでコーティングし、バーミセリ状のチョコをまぶす。
3, パート・ダマンドに溶かしたチョコレート、バターを混ぜてボール状にし、ココアをまぶす。
4, 溶かしたチョコレートに沸騰させた生クリームと蜂蜜を加えて混ぜ、冷めたらボール状丸めてチョコでコーティングし、ココアをまぶす。
5,④と同じだが分量が異なり、カカオバターを加えたもの。
6, 溶かしたチョコレートに沸騰させた生クリーム、グルコースを混ぜる。冷めたらボール状にしてチョコでコーティングし、ココアをまぶす。



もう少し新しい本「Traité de Pâtisserie Moderne」 Emile Darenne, Emile Duval 5ème édition
ではボンボンではなく、焼いたアーモンド生地にガナッシュを挟みチョコでコーティングし、小さい粒状の
チョコをまぶしたプティ・フールタイプのものにこの名が付けられていました。


もう1冊。これには2種類載っていました。
Le Nouveau Guide Culinaire」 Pellaprat 1956
P-303 Truffes au chocolat (première recette)
1, フォンダンにグリエしたアーモンドパウダー、バター、細かく削ったチョコレートを混ぜる。
小さなボールにし粒状のチョコをまぶす。数時間冷蔵庫で冷やす。
2, Truffes au chocolat (Deuxière recette)
チョコを削り、ふるいにかけて大きな粒は別によけておく。ポマード状のバター、生クリーム、
ココアパウダー、キルシュ又はラムを加え、混ぜる。トリュフの大きさに丸める。
よけておいたチョコの粒をまぶす。


トリュフというと主にガナッシュベース(チョコレート+生クリーム)というイメージで、これこそが
トリュフ・ドゥ・シャンベリー」の基本的なものですが、他にも違うものが沢山あったようです。
それぞれのバージョンがどのように誕生したものかは分かりませんし
デュフー氏以前にトリュフと名のついたチョコやお菓子が全くなかったのかどうかはわかりませんが
やはり、シャンベリーのトリュフが美味しかったからこそ、今も変わらず作り続けられているのでしょう。
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↑ Château des Ducs de Savoie



◎そして最後にちょっと話は変わって、イギリスのお話を少し…。

ロンドンに英国王室御用達の「Prestat ;プレスタ」というチョコレートショップがあります。
1902年創業といわれ、創業者はフランス人Antoine Dufour ;アントワーヌ・デュフー
そうシャンベリーのショコラティエLouis Dufour ;ルイ・デュフーと名字が同じなのです。

Prestat はサイト内でこのように書いています。
The family of Prestat’s founder Antoine Dufour created the chocolate truffle in 1895.
プレスタの創立者、アントワーヌ・デュフーのファミリーが1895年にチョコレート・トリュフを
考案した。

Our history(歴史)のところでは更に、こう書かれています。
The chocolate truffle was first created in Chambery, France, in December 1895 by the Dufour family. Antoine, who was born in Saint Berain sous Savignes, was passed the recipe (or created it himself and sent it over to Chambery) and could take advantage of the growing popularity for fine chocolate in England. 
トリュフは1895年12月フランスのシャンベリーでデュフー家により作られた。Saint Berain sous Savignes生まれのアントワーヌはルセットを貰った(或いは彼自身が作りシャンベリーへ送った)…

* Saint Berain sous SavignesはSaint Berain sous Sanvignes;サン・ブラン・スー・サンヴィーニュの
スペル間違い。ブルゴーニュ地域圏Saône-et-Loire県にある村。



しかし、こちらのサイトで見られる、ここ(www.prestat.co.uk, 1 June 2007 [cached] ) の記述では
次のようになっていました。
The chocolate truffle is recorded as first being created in Chambery, France, in December 1895 by a Louis Dufour. The Dufour name is quite common and the relationship between Antoine and Louis is uncertain. What is known is that Antoine, who was born in Saint Berain sous Savignes,.....
トリュフは1895年12月フランスのシャンベリーでルイ・デュフーにより作られたと記録されている。デュフーの名字はとても一般的なもので、アントワーヌとルイとの結びつきははっきりとしていない。分かっていることはアントワーヌがSaint Berain sous Savignesで生まれ…



新たに結びつきが見つかったということはあるのでしょうか?
(どうも、そうあって欲しいという願いのこもった文章のようです…)



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# by le_cacaoyer | 2013-09-25 23:00 | 22Rhône-Alpes

Truffes de Chambéry ;トリュフ・ドゥ・シャンベリー その2

◎さて、肝心の「トリュフ誕生について」のお話は、と言うと…。

*取材時、Pâtisserie Martialのコラン氏が教えてくださったのはこのようなお話でした。
カフェで飲み物を飲みながら時間を過ごすのが好きなパティシエのDufour ;デュフー氏。
1896年ノエル繁忙期のある夜、彼の妻が『明後日のチョコレートの大量注文品を作らなくちゃいけない』
ことを伝えた。この忙しい時期の大量注文に応える為、彼は生クリームとチョコレートを混ぜてボール状に丸め
カカオをまぶすアイディアを思いついた。このようにしてトリュフは誕生した。


*観光局ではこんな感じ。
シャンベリーのコンフィズール、ルイ・デュフーは、アクシデントから(それはノエル時期の忙しさが
原因であったのであるが)、1896年このボンボンを考案し、『Truffes de Chambéry』と名付けた。
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↑ Pâtisserie Martial のTruffes de Chambéry

この当時の現地情報ではいずれも1896年でしたが、後に1895年と書かれたものも目にするように
なりました。
そして現在、ネットで検索すると後者の方が多く見られるようです。
とは言え、別の情報をコピーしただけと思われるものが殆どで、たとえ情報ソースの出ているものでも
その文書が削除されていたりと、はっきりとした古文書等で確認できるものは見つからず
どちらが正しいのか?確かめることは出来ず、とても気になっていました。


シャンベリー観光局のプレス用資料では、現在「1895年」と明記されていますので
観光局にその情報ソースについて問い合わせてみることに・・・。
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↑ こちらがそのプレス資料の該当部分

すると、次のような返事が届きました。
これは『Syndicat des Pâtissiers de Savoie(サヴォアのパティシエ組合) 』の情報に
よるものです。

*返事に添付されてきた資料によれば
1895年12月28日。ショコラティエのLouis Dufour ;ルイ・デュフー氏は 店頭にもう商品が無くなって
しまっていることに気付きました。この時期、多くのお客が来てくれると言うのに…。そこで彼は思いついて
チョコに生クリームを混ぜて小さく丸め、ココアパウダーをまぶしたボンボンを作りました。


そして1896年にこのボンボンは「Truffes de Chambéry ;トリュフ・ドゥ・シャンベリー」と名付けられたのだと言います。

なるほど「作られたのは1895年で、トリュフと名付けられたのは1896年だった」と言う訳だったのですね^^

お店がどこにあったのかも気になっていましたが、頂いた資料の中に「初めPlace de l’Hôtel de Ville にあり、その後rue d’Italieに移転した」と書かれていて、ちょっとスッキリ。

結局まだ「パティシエ組合」の資料を元にしたことが分かっただけで、
このパティシエ組合が「どのような古文書を元にしたのか?」までは分かってい無いのですよね・・・。


そこで個人的にトリュフについて探してやっと見つけられた文書は、20世紀初頭の雑誌等に掲載されている
広告でした。
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↑ Revue illustrée 1904/11/15号と1905/06/01号に掲載されている広告

Truffes de Chambéry の他、L.Dufourの名前とinventeur(発明者)の文字が入っており、
この頃パリでは既に委託販売される程人気があったことが分かります。

実際すぐに「Truffes de Chambéry」の他に「Truffes des Alpes de Savoie 」や「Truffettes des Alpes」という名前のものが現れ始め、マルセイユ近くのショコラトリーで、スペシャリテとして「Truffes Chantilly」と言う名前のトリュフを販売していたりと、その製造はシャンベリー以外へも広がっていたことが分かりました。
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↑ 左下に「Truffes des Alpes de Savoie 」と「Truffes de Chambéry」の文字が見えます。
たまたま見つけたページの為どんな冊子かは不明。1913/12/20にアヌシーで発行された週刊誌と思われれる。

そして最近手に入れたSyndicats d’initiative de la Savoie(サヴォア観光局)が発行していた季刊誌
「La Savoie Pittoresque ;サヴォア・ピトレスク(no21, 1902年)」の中にもL.Dufourの広告を発見!
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地元紙なので、こちらにはシャンベリーのお店の住所が掲載されていました。
5 rue Favreは地図で見るとHôtel de Villeの近く。
1902年の段階では、まだ移転前だったことが分かります。
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↑ 「サヴォア・ピトレスク」に掲載されていたL.Dufourの広告

地元の乳製品とチョコレートで作られたルイ・デュフーさんのトリュフ、
実際にはどんなものだったのでしょう。
美しい箱に詰められていたようですが、その箱はどこかに残っていたりしないでしょうか。
資料的には未だ不十分なので、これからも探求を続ける必要がありますね。



その3へ続く。最後は「イギリスとの関係、そしてルセット」について・・・。



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# by le_cacaoyer | 2013-09-24 19:57 | 22Rhône-Alpes

Truffes de Chambéry ;トリュフ・ドゥ・シャンベリー その1

Palets d’Or ;パレ・ドール」がMoulins ;ムーランで誕生したように、
Truffes ;トリュフ」にも生まれ故郷があるのはご存知でしょうか。
トリュフはパレ・ドールよりも少し早く、Savoie ;サヴォア県の県庁所在地Chambéry ;シャンベリー
誕生しました。
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↑ Pâtisserie Martial のTruffes de Chambéry

トリュフは一般にチョコレートに生クリームやバター(時に卵)等を加え、バニラその他で香りを付けたものを小さく丸めてチョコでコーティングし、ココア等をまぶしたボンボンのことを指します。
普通のボンボン・ショコラよりも賞味期限が短く、伝統的にはクリスマス時期に多く見られるものでした。

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シャンベリーのあるサヴォアは(ニースと共に)最後にフランスへ帰属した地域でした。
そしてフランスになる以前は、かつてピエモンテとサヴォア一帯を支配していたイタリア名門貴族、
サヴォイア家(伊: Casa di Savoia カーサ・ディ・サヴォイア、仏 :Maison de Savoie サヴォア家)の
領地でした。
*Humbert Ier de Savoie(ウンベルト1世)は神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世よりサヴォイア伯に叙任され
サヴォイア家の始祖となる。彼の子孫はイタリア国王に。

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↑ シャンベリーの街並み。奥にはお城がある。

シャンベリーはAmédée V de Savoie(アメデ5世)が1295年に宮廷を移して以降、
1563年Emmanuel-Philibert de Savoie(エマニュエル・フィリベール)によって
トリノに移されるまで、その中心地として発展しました。

イタリア(トリノ)に初めてカカオ豆がもたらされたのは1559年。
なんと美食家としても有名であったそのエマニュエル・フィリベールのおかげだった
と言うことでサヴォアはとてもチョコレートにゆかりのある地なのです。
* そのことから今でもトリノはチョコレートで有名。
*******************************************************************

さて、私がシャンベリーを初めて訪れたのは2003年のこと・・・。

いくつかのお店へ取材依頼の手紙を送りましたが返事は無し。幸い1軒だけお話をお聞きすることが
出来ました。
それは「Pâtisserie Martial ;パティスリー・マルシアル」。
この店は1958年開店。
元々Bourg en Bresse ;ブール・カン・ブレス(Ain県)の Monastère royal de Brou(ブルー王立修道院)の
正面にあったお店が移転したものだとのことでした。
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↑ 2003年訪問時の店の外観。テラス席が設けられていた。


現在(取材当時)のオーナーはBernard Colin; ベルナール・コラン氏。
コラン氏はリヨンのベルナションでアプランティッサージュ(見習い)をしていたそうで、
5歳上のジャン・ジャック・ベルナションとも一緒に働いていたといいます。

とてもクラシックな懐かしいお菓子が揃っていましたが、手頃で美味しいランチが食べられることもあって、
店内には活気がありました。
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↑ Pâtisserie Martial のアントルメ

パンは店の奥にあるラボで制作、お菓子は地下のいくつかに分かれた部屋で作られているということ。
嬉しいことに見学もさせてくださいました。
道具もクラシックで、チョコレートのコーティングも機械ではなく全部手作業。
トリュフ作りは自ら手作業で行っているとのことでした。
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↑ コラン氏が自ら「アンロバージュ作業はこんな感じで・・・」と教えてくださいました^^

チョコを掛けたらココアパウダーの入った長方形の平らな木箱へ入れていき、
そのまま15分位おいてから取り出します。
夏季は1度にこれ1箱を使用するだけの量しか作らないが、冬には10箱以上使うのだとか。
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↑ チョコを手掛けした後はココアパウダー入りの箱に・・・。

このお店のTruffes de Chambéry ;トリュフ・ドゥ・シャンベリー
ノルマンディー産のCrème épaisse ;クレーム・エペッスとクーベルチュールで作られ、
ムース状で食べると「ホコッ」とした感じのものでとても軽いものでした。

以前はこの辺りでも良い生クリームを作っているところがあったそうですが、後継ぎ無く、
廃業してしまったと言います。
* 残念ながらこのお店は暫くして代替わりし、更に2007年にはお菓子屋自体も廃業して、現在では不動産屋になってしまっている模様…。


その2へ続く・・・。次はいよいよ「トリュフ誕生のお話



※※※



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# by le_cacaoyer | 2013-09-21 15:49 | 22Rhône-Alpes

Les Palets d’Or de Benard Sérardy ベルナール・セラルディの「パレ・ドール」 その2

パレ・ドールの受難と栄光

商標登録事件?
1898年、Benard Sérardy ;ベルナール・セラルディにより考案された「Palets d’Or ;パレ・ドール
Moulins ;ムーランの町ではすぐに評判となって、町にある他のショコラティエもパレ・ドールを作るようになり…。
それでもベルナールに特許を取ろうという考えはありませんでした。
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フランス中にその名声が知られるようになった頃、
あまり良心的とは言えないSt Germain en Laye ;サン・ジェルマン・アン・レイのあるショコラティエが
なんと!パレ・ドールの商標登録をしていたのです。

店がCarré ;キャレ夫妻の所有となり、パリの百貨店「Au Bon Marché;オー・ボン・マルシェ
(現在のLe Bon Marché)」でもパレ・ドールが販売されるようになった1923年、突然事件が起こりました。
サン・ジェルマン・アン・レイのショコラティエに委任されたある執達吏が売り場に現れ、
こちらのショコラティエこそがパレ・ドールの本当の考案者である」として1912年の商標登録を見せたのです。

そこでパレ・ドールが確かに「ベルナール・セラルディの考案したものである」ということを認めて貰わなければならなく
なりました。幸いムーランの市長や同業者、お客たちかた多くの証言もえられたことから
裁判では次のような和解案が成立しています。

サン・ジェルマン・アン・レイのショコラティエは、この商標登録を二度と使用しないと約束する。その代わり
Palet d’Orという名前とそのボンボンは公のものとし、全てのショコラティエが製造・販売することが出来る。
メゾン・セラルディだけが『Les Palets d’Or création Sérardy(セラルディが考案したパレ・ドール)
という呼称を使用する権利を有する。



パレ・ドール100周年記念
その誕生から100年が過ぎた1998年、パレ・ドール百周年を記念し
Les Amis du Palets d’Or ;レ・ザミ・デュ・パレ・ドール」という協会によって、9月26日から10月4日までの
9日間、ムーランで盛大なお祝いが行われました。
当時のパンフレットを見ると、パレ・ドールは勿論、ショコラやショコラトリーの歴史に関する展示があったり
ガラ・ディナーも催されています。

ガラ・ディナーのメニューは、カカオをスパイスとして使用した料理3種類、ショコラを使用したデザート3種類と
それに合わせたワイン3種類が用意されました(デザート用はL’Etoile Banyuls 1989 Macéré tuilé)。
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                ↑ カカオを使った料理3種の紹介された百周年記念のパンフレット

また、セラルディに敬意を表して、フランスの有名なチョコレート菓子のビュッフェもありました。
(Bonnat,Dufoux,Gillotte,Giraud,Jarriges,Lefort,Mathevon,Muzeau,Pralusの9名による菓子)
知っていれば、ぜひ参加してみたかったですね!


後日談
パレ・ドール百周年記念のパンフレットにはルセットは無いものの、セラルディ時代のパレ・ドール制作行程が
書かれていました。
こんな感じ・・・
ガナッシュは絞り出し袋でpapier en soie(薄葉紙)に絞りだす。
ココアパウダーを振って、2本のレールを置いてから麺棒で平らにならす。涼しい風の当たるところに置く。
トランペ後にチョコをのせていく場所に予め小さな刷毛を使って金箔を散らしておく。
手作業でトランぺし、上部を押さえて平らにする。


これを見て、「現在とセラルディ時代のパレ・ドール食べ比べ」をしてみたいと思い、
当時のルセットを持っているであろうジャリッジュ氏に作って貰えないか問い合わせてみましたが、
下記のような返事が届いて残念ながら願いはかないませんでした。
我々はセラルディ時代のものよりもクリーミーで色の濃いガナッシュへと少しずつ改良を行い、
衛生面も大きく改善されました。現代の味覚に合わない19世紀の方法で作ることはお話になりません。

大量に作れるようになったと言うのに、わざわざ少ない量をつくるなんて到底受け入れらないことでしたね…^^;


訪問時、このお店には場違いと思える色鮮やかな多色のカリソンを目にして「違和感」を感じ、
パレ・ドールの金が「転写シート」だったことはショックでさえありました。
なぜ、そんなことになったのでしょうか?

訪問時に頂いた2002年度のカタログに載っているパレ・ドールには本物の金箔が、
その次に頂いた2003年度のカタログでは転写シートに変わっていたのは、
所有者が変わってからどんどん機械化(合理化)が進み、パレ・ドールの金箔のことを始め多くのことが変わってしまったことを表しているのだと思います。
(勿論技術的な近代化は必要だし、現代人の味覚に合わせる変化は必要だと思いますが品質は・・・)
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  ↑ 2002年のカタログ                     ↑ 2003年のカタログ


知り合いのショコラティエにこのことを話すと「まさか!」という声が出ましたが、もし今でもこの状態が続いているのだ
とすれば、なんだか残念でなりません。



                               ※※※



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# by le_cacaoyer | 2013-09-08 21:29 | ⑦Centre

Les Palets d’Or de Benard Sérardy ベルナール・セラルディの「パレ・ドール」 その1

Le Palet d’Or ; パレ・ドール」と言えば、フランスLyon ;リヨン にお店のあるショコラトリー
Bernachon ;ベルナション」のものがとても有名ですね^^
日本でも多くの方が実際に食べたことがあるのではないでしょうか。
表面に散らした金箔で飾られた、平たい円盤状のボンボン・ショコラは、ここ以外にも多くのお店で目にすることが
出来ます。
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    ↑ こちらはベルナションのパレ・ドール。金箔を散らした上にガナッシュをチョコがけしてのせていきます。

このボンボンは、Auvergne ;オーヴェルニュ地域圏はAllier ;アリエ県の県都Moulins ;ムーランのショコラティエ、
Bernard Sérardy ;ベルナール・セラルディによって1898年に考案されました。
軽くコーヒーの風味を付けたガナッシュを少しビターなクーヴェルチュ―ルで上掛けしたものに、金粉を散らした
丸く平たい形のボンボン。飾りに金箔が使われた最初のチョコレートでした。
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                ↑ Les Palets d'Orのお店で販売されていたパレ・ドールのコフレ。


店の歴史
この店は1835年Mr.Gaillard ;ガイヤール氏によって創業、元々はソーダ水とシロップの製造販売を
行っていました。
1866年ガイヤール氏は、Confiseur ;コンフィズールだったベルナールの父に店を譲ります。
ベルナールの父は見習いを始めたばかりの息子をSt Etienne ;サン・テティエンヌにあるWeiss ;ヴェイスをはじめ、多くのショコラトリーで修業をさせるべく送りだしました。

1898年、ベルナールは父の店を継ぎます。
Le Palet d’Or ;パレ・ドール」は、このことを記念して考案されたものだったのです。
本物の金箔がひかり輝く、この美しく斬新なボンボンはあっと言う間に町の人々を魅了。
この繊細で美味しいボンボンは贈り物としても使われるようになり、地元のみならず、フランス中更で有名になり、
更にその名声は外国まで広まって行きました。

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パレ・ドール考案と同時に、彼は店の外観と内装をイタリア人画家Galfione;ガルフィオン指導の下、
ムーランの美術学校によってネオ・ゴシック様式に美しく改装、現在でもそのまま保存されています。
19世紀末~20世紀初頭までNevers;ヌヴェールにアトリエを構えていたPietro Favret ;ピエトロ・ファヴレ
(1871-1936)のモザイクも入口の床に使われています。
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↑ こちらがそのタイル。「SERARDY」の文字の他、端に「P FAVRET MOSAISTE NEVERS」という文字が見えます。

店の名声は広まって行くばかりでしたが、1914年、第一次世界大戦がはじまるとベルナールは招集され、
2年後に戦死。
主人の居ない店を守っていた彼の妻は店を閉めます。

戦争が終わって平和が戻ると、店はCarré ;キャレ夫妻に買い取られ再びパレ・ドールが作られるようになり、
パリの百貨店「Au Bon Marché;オー・ボン・マルシェ(現在のLe Bon Marché)」でも
販売されるようになりました。

その後はキャレ夫妻からBellat ;ベラ夫妻へ、
1977年にはEvelyne ;イヴリンJean Jarriges ;ジャン・ジャリッジュ夫妻へと引き継がれていきます。


◎ さて、私がムーランの町を訪れたのは2003年6月のことでした。
日本からアポイントを取っていったおかげで、ラボもじっくりと見学させて頂くことが出来ました。

まずは建物の外観と店内の装飾がとても美しく、きちんと手入れをされていることに感動!

この日ラボで働いていたのは15年ほどの経験があると言う31歳のPatricia ;パトリシア
彼女が先頭にたって取り仕切り、40年働いていると言うベテランのHuguette ;ユゲット
彼女よりも少し若い女性、そしてジャリッジュ氏の4人。
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↑ こちらは取材当時新しく導入されたという機械。パレ・ドールの中身(ガナッシュ)を沢山絞りだすことが出来、
小さなチョコカップに中身を詰めることも出来る。


ボンボンの中身にチョコレートの上掛けをするための機械、 enrobeuse ;アンロブーズの他にも、
パレ・ドールの中身を沢山丸く絞り出す機械や出来あいのチョコレートカップに中身を自動的に詰める機械等々、
思ったよりも近代的な機械が配置されていて正直ちょっとビックリ。

「機械が故障した時には昔のように手でenrober;アンロベ(チョコを掛ける)することもあるのよ」とユゲットが
パレ・ドールのアンロベ作業を見せてくれました。
チョコレートフォークを使って1つずつチョコを掛けて板の上に置くと、隣の女性が小さなプラスチック状の板を上にのせて軽く押さえていきます。
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                  ↑ 手作業で行う時のアンロベ。左側がベテランのユゲット

昔からありそうなパート・ダマンドのボンボンの他に、手作りのリキュールボンボン、フルーツキャラメル等もあって、
技術的には新旧入り混じった感じで、なんだか不思議に感じました。
そして何よりも気になったのは、パレ・ドールに本物の金箔ではなくて転写シートが使われていたこと !

ジャリッジュ氏に話をお聞きしていくうちに、
退職を目前に控えて後継ぎの居なかった夫妻は店を引き継いでくれる人を探し、
2002年「A la mère de famille ;ア・ラ・メール・ドゥ・ファミーユ」の所有者でもあるEtienne Dolfi ;
エティエンヌ・ドルフィ
氏に売却していたことが分かりました。
しっかりと店の引き継ぎを行う為にジャンは店の顧問、妻のイヴリンは支配人として2008年まで店で働くことに
なっているのだそうな。


取材の後、ご夫妻はお昼ごはんに誘ってくださり、食事後は退職後ゆっくり暮らす為に購入したという
町外れにある自宅へ案内して下さいました。
ここを気に入った一番の理由は「薪釜があったこと」と嬉しそうに話す様子がとても印象に残っています。
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                       ↑ こちらがパン焼小屋の中にあった薪釜

今、この窯はどうなっているのでしょうね^^


その2へ続く


                                ※※※


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# by le_cacaoyer | 2013-09-07 13:58 | ⑦Centre